池田
売っていたのはスーツ、当時の言い方では「背広」ですね。そういったお客様が多かったので、ビジネスの一大拠点であった北船場の高麗橋に店を構えたようです。
橋爪
船場の建築などのモダニズムと、背広文化の広がりがシンクロしていた時代だったとも言えるでしょうか。
池田
今の店舗は久太郎町の「大阪センタービル」にあります。旧の伊藤忠の場所ですね。この界隈は今でも賑わいがあって、船場センタービルの雰囲気、昔の繊維街の雰囲気を引き継いでいる感じです。
橋爪
その時に「街への提言をするならば、船場に飛び込め」とのご意見をいただいて、中船場の久太郎町に事務所を構えたんです。そこでの活動で、三休橋筋にガス灯を建てて散策できる道にしようとか、「船場建築祭」(※4)というのを立ち上げて、戦後のビルを見直そう、と。それまでの大阪はどんどんスクラップ&ビルドを進めていたのですが、旧いビルや建築物の価値を見直すことが大切だと。そうすることで、もう一度船場に人を集めたいという思いで活動を始めた場所が、まさに久太郎町でした。
池田
それが現在の「生きた建築ミュージアム フェスティバル大阪」(※5)につながってきているわけですね。
※1.「船場倶楽部」は2015年、大阪市がまちの無電柱化や回遊性の向上を目指しての案内板設置を推進するにあたり、その盤面制作と設置後の維持管理の協力をきっかけに発足。船場のまちの課題解決や新しい都心像づくり、船場の情報発信などを主な活動内容とする。橋爪氏は特別顧問、池田氏は理事を務める。
※2.「船場博覧会」は、毎年11月下旬に6日間にわたって行われる「まちの文化祭」。池田氏が実行委員長を務める。2020年はコロナ禍においても、ソーシャルディスタンス保ちながら、上方舞や能などの古典芸能から、キッチンカーやマルシェな、文化講演会などが行われている。
※3.「船場げんきの会」は2004年に発足。まちづくりや伝統芸能、アート、歴史研究、ビジネス創造など、船場をステージとするさまざまな活動グループが集まるプラットホームとして機能していた。2018年より「船場倶楽部」に統合して活動。
※4.「船場建築祭」は、大阪市立大学・都市研究プラザが運営する現場プラザ「船場アートカフェ」が主催した、建築とアートのイベント。2006年より開催され、現在は「生きた建築ミュージアムフェスティバル」へと引き継がれている。
※5.「生きた建築ミュージアム
フェスティバル大阪」(通称「イケフェス大阪」)は、2014年より毎年秋に開催されている日本最大級の建築イベント。実行委員長は橋爪氏。歴史的な建築から現代の超高層ビルまで、150件以上の建築が公開され、多彩なプログラムに無料で参加できる。2020年はコロナ禍にあって、バーチャルで開催された。